20歳男の人生つらいよ記

20歳理系大学生が人生をゴボゴボ藻掻いています

イキりたい。イキリトになりたいよ

 

イキリトかなーやっぱりww

 唐突だが次のような構文を目にしたことはあるだろうか。

キリトかなーやっぱりww

自分は思わないんだけど周りにキリトに似てるってよく言われるwww
こないだDQNに絡まれた時も気が付いたら意識くて周りに人が血だらけで倒れてたしなwww
ちなみに彼女もアスナに似てる(聞いてないw)

dic.nicovideo.jp

 有名なイキリト構文だ。初めてこの構文を見たときの感想は誰しもがこの道を通るよな~という母性とこんなに面白いのはなぜだろうという不思議だった。実際ここまで普及、ネットスラングになっていて、誰の目から見ても面白いのだと思う。あまりにも世間知らずの若者が、メタ認知している自分を理想であるキリトになぞらえて(同一視して)ありのまま表現しているところがなぜこんなに愛おしいのか

 

 ↑†漆黒の剣士†がキリトで隣にいるのはアスナ

イキリトできるってすげぇってよく言われるw

そんなことを考えるために筆をとったわけではなくて、僕はイキリトイキリト構文を使う人。これからはイキる人という文脈で使う)になりたい。しかし、齢20歳の僕はイキることができない。これは非常に健康的ではないと感じる。目下の課題である。

*1

周りに†恥†が血だらけで倒れてたしなww

僕がイキリトになれないのは、イキるという行為によって恥を感じるから。恥をかくというのは”正解”に対して"不正解"をしたという事実を自らが観測した時感じるもので良くも悪くもこの感情には自分を律する意味がある。ぼくには理想像があって、過去にたくさんの恥をしてきたから今後行う行為も実は恥かもしれない。だから挑戦が実を結んだときだけ、確実に自分の理想にあてはまるときだけイキろう。けれど、理想も変化していく。成し遂げたときにはすでにその理想は遙か遠くへ行ってしまっている。だからイキれない。理想なぼくはそんな低レベルなことで自慢しない。他人から見てもそれは低レベルかもしれない。

俺、これでも注目されるんですよ?

しかし、イキることでメリットが生じる。他人から人目置かれる存在になる機会が生まれるし、アウトプットの極み的なことできるし、ある程度の大人はそうした若者を間違ってるかは別に尊重し、応援してくれる。いいことづくめなのだ。イキらないといけないフェーズだって存在するだろう。だからぼくはイキりたい

 一応オタクだけど彼女いるし、俺って海外の動画みるしそこら辺とかめっちゃ似てるって言われる()

 

そんなことを漠然と考えているうちにこの動画を見る機会ができた。

www.ted.com

日本語版にも対応していているのでパパッと見てもらえるとよいが、ここで彼は過ちを恐れることがクリエイティビティを生み出さない原因になっている、と言っている。何度もその考えに触れてきたが、自分が上記矛盾を抱えていたこともあって当事者意識をもって考えているわけだ。この動画を軽く要約すると、「学校は評価システムが働くために有効な教科を中心に置かれている。問題はそのシステムによってクリエイティビティが失われている。だから今のままの教育はよくないよね。過ちを恐れることがクリエイティビティの減少につながるよ。」

俺って†クリエイティビティ†だしw

上で紹介した動画とイキリトで考察した内容にアナロジーを感じるのはぼくだけではないはず。というかまさにそうした環境によって培われてきた恥という概念がイキリトを蝕んでいる。イキリトはクリエイティビティな行為なんだ。そんな素晴らしいことができないなんてとっても不健康じゃない?

理想の人生あゆんでるんでるからクラスの女子にたかられる←彼女いるからやめろ!笑

過ちを恐れない、理想と違う人生をちょびっとでも歩むことをためらわない心がイキリトを産む。完璧主義からの脱出に近いそんな考えを理想と捉え直して生きていこうと思う。こんなこと書けるのもこのブログがぼくのプラットフォームになっている空なんだなぁ・・。

ちなみに彼女もアスナに似ている(聞いてないww)

この構文使っててめっちゃ楽しかったです。彼女はいません()

*1:イキる:完全に理解した()状態で絶対的自信をもちつつ情報発信すること